「N=1」のビジネスが周囲を巻き込み、スケールを拡大させる時代

「N=1」のビジネスが周囲を巻き込み、スケールを拡大させる時代

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昨夏、コロナ禍の中で開催された世界的スポーツイベントでは、さまざまな論点があったにせよ、多くの感動やドラマが日々生まれていったことは記憶に新しい。

そんななか、ある一人の挑戦が話題を呼んだ。東京2020パラリンピック競技大会に出場した競技用車椅子の伊藤智也選手(58歳)だ。2012年に現役引退したにも関わらず、本大会では自己ベストを記録し、“車いすの鉄人”の名を轟かせたのである。

そんな伊藤選手が競技で使用した車椅子レーサーは、さまざまなテクノロジーや開発技術が結集されて作られたものだということをご存知だろうか?

今回は、伊藤選手の躍進を支え、車椅子レーサーの開発に携わった株式会社RDS 代表取締役の杉原行里氏によるHealthtech/SUM 2021セッション「車椅子レーサー開発で培った『感覚を可視化するテクノロジー』を社会実装へ」の模様を取材した。

2013年のグッドデザイン金賞受賞が、ヘルステックに参画するきっかけに

杉原氏は15歳で渡英し、高校・大学とイギリスで過ごしたという。そこでの生活が「今の自分の考え方の根幹になっている」と話す。

「2013年に松葉杖のグッドデザイン金賞を受賞したのがヘルステック領域に参加する大きなきっかけになっています。現在経営しているRDSという会社は、『今日の理想を、未来の普通に。』をコンセプトにデザインから設計、開発、ものづくりまでを自社内で完結する体制でビジネスを展開しています。そのテクノロジーは、モータースポーツやロボット、航空、宇宙、医療など多岐にわたって活かされており、なかでも注目を集めているのがF1アルファタウリ・ホンダとのオフィシャルスポンサー契約です」

F1はよく『走る試験場』と呼ばれているとおり、そこで培われたテクノロジーは私たちの生活をかなりアップデートしていると言える。RDSも、パラリンピックで培われたテクノロジーをいかに一般社会へと付与できるかを大事にして活動を行なっている、と杉原氏は強調する。

では、2013年度グッドデザイン金賞に選ばれた「ドライカーボン松葉杖」は、なぜ金賞を取れたのだろうか。その理由について、杉原氏は車に例えて次のように説明する。

「車でいうと、毎日使うのにレンタカーに乗っていては、なかなか所有欲は満たされないと思います。決して、レンタカーやカーシェアリングが悪いわけではありませんが、数ヶ月しか使わないのであれば、現在市場に出回っているレンタルユーザーを想定した松葉杖でもいいでしょう。ただ、一生涯にわたって松葉杖を使う人も多くいて、そういう方たちにとっては長さの調整などはあまり必要ではない。むしろ、自分のものという所有欲を満たす方が重要だと考えています

こうした思いから、我々はドライカーボン松葉杖を開発することになり、グッドデザイン金賞受賞を機にパラリンピックへ参入していくことになりました。『北京2022 冬季パラリンピック』でも、チェアスキープレイヤーと一緒に開発していたりと、さまざまなものを拡張するプロダクトづくりに取り組んでいます」

そのほか、RDSが手がけてきた車椅子のプロダクトも、グッドデザイン賞などを受賞するなど、非常に高い評価を得ている。

斬新なプロダクトを世に出してきたなか、杉原氏は歩行解析ロボ「core-ler(コアラー)」についての思いを寄せた。

「このプロダクトは非常に面白くて、実は我々はネーミングをつけるのが苦手だったんですが、『core-ler』に関してはGAKU-MC(ガクエムシー)さんに命名してもらいました。体の“コア”を表す『core』とポルトガル語で“調べる”を意味する『ler』を掛け合わせた名前になっています。要するに、人間は歩行動作によって大きく分類できるということ。例えば、アルツハイマーだったり認知症だったりという方々は、とても特徴的な歩き方をされています」

core-lerはAGV(Automated Guided Vehicle:自動搬送装置)と呼ばれる追尾型のロボットで、4〜5mほど歩行を追尾していくことで、歩行者の歩行データを取得するという。それを同社が持つヘルスケアデータシステムと照らし合わせることにより、脳神経疾患の判別や前兆を掴む機能を絶賛開発しているところだというのだ。

「現在はアルゴリズムの選定を終え、PoCを回している段階ですが、近いうちに市場へお披露目できるように取り組んでいます」

単なる勝利を追求せず、いかに社会実装できるかを意識した

そしてここからは、昨年の東京パラリンピックに出場した車椅子レーサー・伊藤智也選手と二人三脚で進めてきた活動について語った。「金メダルだけが目的ではない ~58歳のオジサンと僕らが目指した未来~」というビジョンを掲げて挑んだプロジェクトはどのようなものだったのだろうか。

「車椅子レースはクラスによって時速30〜40kmという、かなり高速域までスピードが出るレースです。伊藤智也選手は車椅子T52のクラスで、2008年の北京パラリンピックで金メダル、2012年のロンドンパラリンピックで銀メダルを獲得したのを最後に、引退していました。それが2016年に私と偶然にも出会ったことで、そこから復活を促すことになり、伊藤選手と一緒に車椅子レーサーを開発することになったのです。ただ、スライドに記載したように『金メダルを目的にするのではなく、パラリンピックを最大の試験場にする』というテーマを持っていたことから、我々は“あること”を実施してきました」

単なる勝利を追求するのでなく、社会実装するために何ができるのか。2017年から開発に着手するにあたって二人が重視したのが、「選手の感覚知の数値化」だったという。

「選手生活の中でさまざまな経験を通して得た知識は重要である一方で、経験則に基づいたものは、定量化されたデータとしては取れていないわけです。こうした背景から、本当に選手の感覚が正しいものなのかを把握するため、共通のコミュニケーション言語を手に入れようと試みました。モーションキャプチャや加速度センサーなどを用いて、ある種アナログ的な観点から、まずはローラー台のシュミレーターを作ったのです。そして、およそ1年半をかけて約2万通りのデータを取得しました。なぜ、このように膨大のデータを取ったかというと、『人間は座っているポジションにとって、パフォーマンスが大きく変わっている』という仮説を立てていたからです」

自分の思う限界値は、必ずしも最適解ではない

多様なセンサー群を用いてデータを出したことで、二人はひとつの答えにたどり着く。それは、2008年に伊藤選手が金メダルを獲った際の姿勢が、伊藤選手にとってベストなものではないということだった。

「データに基づいた仮説を立て、車椅子レーサーの開発を進めて臨んだ東京パラリンピックですが、結論として58歳という年齢にも関わらず、パーソナルベストを達成することができました。本来なら、人間は加齢とともに体力や身体的能力が衰えていき、記録も出づらくなってきます。でもそうではなく、自分が思っている限界値は本当に身体的なものなのか。実は過去の経験則に委ねられていないか。つまり、『本当はもっと高いところに自分の能力値(最適解)があるのではないか』というのが、今回のプロジェクトにおける最大の関心ごとだったわけです」

実際に伊藤選手は、2008年に金メダルを獲得したときよりも1秒以上速くなっていた。このようなことから、「もしかしたら一般の車椅子ユーザーの方も同じような課題や問題に直面しているのではないか」と考えるようになったという。

「しかし、アナログ的なアプローチであるローラー台のシュミレーターだと、パーソナライズの量産化に向いていません。そこで、未来ロボット技術研究センター『fuRo』と共同でシーティングシミュレータ『SS01』を開発することになりました」

今まで、どうしても最適なシーティングポジションを導き出すための可動域の調整がうまくできないなどの課題があった。そこをロボットの技術を用いて自動化することで、これまで以上に身体の感覚を数値化しやすくなったという。

「我々が目指しているのは、SS01の取得データをもとにユーザーと調整していき、最終データから車椅子を作っていくことです。最適なシーティングポジションを可視化することで、ユーザー自身のアビリティ(能力)をより正確に把握できるのではと思っています。将来的にはSS01やCORE-Ler、パートナー企業と開発したプロダクトなどさまざまな健康データを集積するプラットフォームを構築し、社会での実用化をしていく予定です。

当初は、伊藤選手を1秒でも速く走らせたいという思いだけでしたが、いわば『N=1』のビジネスを多くの仲間とともに一緒に開発してきたことで、高い視座を持てるようになったのは大きな収穫でした」

ヘルスケアデータを活用し、社会変革する時代がやってくる

最後に杉原氏は今後の展望を語った。

「これからは、ヘルスケアデータを活用して社会をアップデートしていく時代が必ずやってきます。さまざまな身体データが可視化され、そのデータをもとにパーソナライズされた新しいプロダクトやサービスが生まれてくるでしょう。直近では、SS01を共同開発したfuRoとともに『自由な移動を』をコンセプトにした電動モビリティを開発しました。我々自身、今後もいろいろなプロダクトをリリースし、社会課題の解決に向けて尽力していきたいと思っています」

編集:長岡 武司
取材/文:古田島大介

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