【金泉俊輔】メディアのDXが遅れた真因とは?
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前回からお届けしている、株式会社NewsPicks StudiosのCEO・金泉俊輔氏が語る「メディアのDX」。今回は、メディアのみならず日本のDXを遅らせた「ある事件」を中心にお届けする。
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「インターネット」の捉え方が各国の命運を決めた
――日本のインターネット産業のターニングポイントはどこだと思いますか?
金泉 ライブドア事件がひとつの分岐点と言えそうです。
2000年代中盤までは、国産の検索エンジンを開発する構想や、各企業が人々の手にパソコンを持たせる技術を追求していました。実際、iPhoneの登場以前は、日本企業が個人向けの情報端末であるPDA(Personal Digital Assistant)の開発をリードしていました。
当時はグローバルスタンダードへの挑戦という機運があった時代と言えます。ところが、ライブドア事件が起こった頃を境に、GAFAに代表されるビッグテックに呑み込まれてしまいます。
もちろん、その前後でも例外はあります。例えば孫さんがボーダーフォンを買収し、ソフトバンクを携帯会社化して高みを目指し、楽天もコングロマリット企業として、楽天経済圏の構築をはじめていました。
しかし、国全体でチャレンジングな姿勢が失われた結果、スマートフォンはiPhoneとギャラクシーにシェアを握られてしまい、デジタル敗戦が決定づけられてしまった印象があります。
――今から振り返ると、もったいなかったというイメージを抱いてしまいます。
大きな括りで言えば、インターネットの起源は産業ではなく「軍事」です。そのため、地政学、経済安全保障と切って離すことはできませんし、見方によっては国の垣根を悠々と超えて、サービスや情報を広げてデジタル空間を支配することもできます。
中国を見れば、ビッグテックに取って代わるチャイナスタンダードを全て自前で作り上げています。ロシアも同様です。
しかし、日本は実現させる技術はあったにも関わらず、どこか中途半端に終わってしまった印象は拭い切れません。
――中国は14億人の人口を抱えるだけに、自国製にこだわったのでしょうか。
人口もありますが、やはりインターネットをどう捉えていたかの方が大きいでしょう。ロシアの人口は1億4,000万人ほどですし、韓国は人口約5,000万人にも関わらず、自国製の検索エンジンがあります。
さらに言えば、ヤフーとLINEは経営統合しましたが、そもそもLINEは韓国企業で、韓国はメッセージアプリもしっかり作っています。やはり、通信技術が何に根ざしているか、という理解があったのではないでしょうか。
かつては小泉純一郎元首相が構造改革で変化を起こそうとしたこともありましたが、「強いリーダーシップ」だけでは不十分で、社会全体が「変化する意志」を持つことが必要だったと思います。
ライブドアショックで浮き彫りなった「変わらない日本」
――それらのターニングポイントがライブドア事件と言えると。
東京地検特捜部がライブドア本社などに家宅捜査を行ったのが、2006年1月16日で、そこから“ライブドアショック”と言われるほど、日経平均株価も急落しました。私はその日、まだサイバーエージェントのオフィス内にあったmixi創業者の笠原(健治)さんを取材していました。そして、その数日後に私が編集した堀江さんの書籍発売を控えていました。
2000年代には3度のショックがあり、まずドットコムバブルが2001年に完全に弾け、2006年のライブドアショック、2008年のリーマンショックと続きます。
――激動の10年と言えそうです。当時ライブドアによるフジテレビ買収騒動もありましたが、もし買収が成立していたら、今とは違う世界が広がっていたかも知れません。
電波の周波数の割り当ては、通信に比べると放送があまりに厚遇されている実情がありました。周波数以外でも、新聞社と放送局のクロスオーナーシップには強固な権力と特権があり、堀江さんはそこに風穴をあけようとしたと見ることもできます。
通信と放送の構造改革を推進しようとした竹中平蔵さんはもちろん、当時の経団連会長だった奥田(碩)元会長も考え方は近く、放送をよりグローバル競争にさらすべきだという発言もしていました。
――“財界総理”とも言われる経団連の会長まで、後押ししていたんですね。
自動車産業にいた奥田さんがグローバルで競争していた一方、放送業は国から特権を与えてもらい、甘え過ぎと見られていましたから。国内で権力を持ち過ぎていると、直接的ではないにせよ、ライブドアを応援しているようにも見えました。
――当時からメディア業界にいるからこそ、知り得る情報と言えそうです。
ちなみに2006年の年初に、ライブドアはソニーの買収計画も立てていました。
当時のソニーの時価総額は、今ほどではなく数兆円。ライブドアの当時の時価総額は1兆円弱でしたが、具体的なスキームも組んでいたようです。
――ところが、ライブドアショックを機に、すべてが一変したと。
ムードが変わりましたね。もちろん、ライブドア一社だけで何かが変わったわけではなく、リーマンショックや自民党が下野して民主党政権の誕生などもありました。
――当時の日本は迷走していたイメージがあります。
迷走というより、一言で言ってしまえば「年寄り社会」になったということです。経営者や選挙での投票率の高い高齢者層をはじめ、権力が集中した年長者が変化を望まなかったと。
同時に、スタートアップ企業が増えているとはいえ、全体的には挑戦する機運もしぼみ、「日本のサイジングってこんなもんだよね」という、大人たちが考えた限界にどんどん収斂していきました。
とはいえ、日本はそもそも手を広げ過ぎたところも無視できません。日本にはどんな産業もあり、オリンピックで言えば全競技に参加している状態です。
戦後を振り返れば、急成長を遂げるために偶発的な二大要因がありました。1つは敗戦によって年長者がいなくなり、若者がチャレンジできたこと。そして、もう1つが戦後GHQによって飛行機の製造や運用を禁じられたことです。飛行機の研究や教育なども禁止されたことで、日本の持っていた技術はすべて自動車に注ぎ込まれるようになります。
結果として、リソースが集中した自動車産業が一気に伸びていきました。
――スバルはその典型と言えるかも知れません。
スバルのほかにも、日産もその流れを汲んでいますね。
戦後の急成長は、偶発的な自動車産業の伸びに、朝鮮半島などでの戦争、人口増加が重なる運もあったと思います。ただ、その後、自動車に続く産業として、様々な業種に手を付けていきました。
オリンピックでたとえると、サッカーに賭ければ強化は進みますが、全競技に力を入れ過ぎてしまった。同じように、今の日本は国のサイズに対して、あらゆるものに手を広げ過ぎてしまったきらいがあります。
現実的に、1つの業種あたりの企業数もかなり多いと言えます。海外であれば、M&Aなどで効率化や最適化が進みます。ところが、日本はマーケットに対して社数が多い特徴があります。
メディア業界から見えてくる、日本で改革が進まない理由
――家電メーカーが代表的な例ですが、メディアにも当てはまりそうです。
そうですよね。メディアカンパニーもまさにそういう状態です。
――ライブドアショック以降についても聞かせてください。かつては勢いのあったメディアも、2000年代中盤から徐々に停滞していきますが、当時の雰囲気をどう感じていましたか。
私が在籍していたのはフジサンケイグループの扶桑社でしたが、日本メディアビジネスはハイブリッドエンジンに似ています。
自動車もグローバルではガソリン車からEVカーへの移行が進んでいます。ところが、日本はハイブリッドという高い技術を持っていることによって、良いか悪いかは別にして移行が遅れています。
例えば、かつては1000万部という部数を誇った読売新聞は、長年に渡って有料購読者数が世界1位でした。しかし、今年になって首位の座をニューヨークタイムズに明け渡しました。ニューヨークタイムズはデジタル化を進め、デジタル版の有料購読者数が伸びています。その裏では身を切るようなDXを進め、苦境に直面する新聞業界の中で飛躍することができました。
一方、日本はそもそも年長者の比率が高い社会ですから、自ずと従来メディアが読まれてビジネスとして成立してしまいます。安価で高品質な印刷技術があり、販売物流網も高水準です。そのため、多くのメディアが本格的な転換の機を逸し続け、DXを徹底できません。
既存ビジネスモデルで食えている以上、大きな変革を断行する決断ができず、「利益の出る既存媒体と一部デジタル化のハイブリットエンジン」という考えのもと、ライブドアショック以降の15年を過ごしてきました。戦争でいう塹壕戦のようなものです。
――生き残っているものの、膠着している状態だと。
そういうことです。
――改革が進まなかった理由には、外部環境の変化はあげられますか。ライブドアショックと同時期に、GAFAの勃興も重なっています。
かつては自国製も強かったですが、検索も携帯もSNSもGAFA主流となりました。メディアプラットフォームでいえば、象徴的な事例としてYouTubeとニコニコ動画の関係を思い出します。
日本国内ではじめはニコニコ動画の人気が出ましたが、結局はYouTubeに取って代わられてしまいます。スマホ最適化の遅れなど要因は様々ですが、著作権の問題は見逃せません。ニコニコ動画は国内企業である以上、著作権侵害があれば取り締まられる一方、海外企業のYouTubeは当初なかなか取り締まれませんでした。
――違法アップロードができてしまったわけですね。
今となっては規制されていますが、かつてのYouTubeはそんな状態でした。
結果として、日本のコンテンツメーカーもYouTubeへの最適化を余儀なくされ、ニコニコ動画は動画プラットフォームの争いに敗れてしまいます。
もちろん、テクノロジーや資本力、ビジョンの差もあったと思いますから、それだけが理由ではありませんが。今となっては検索エンジンでもSNSでも動画プラットフォームでも、日本はビッグテックに追随するしか道はなかったのかもしれません。
そして、インターネットメディアやサービスは特に「日本語の壁」があります。英語が圧倒的に有利です。ただ、中国バイトダンスのTikTokは世界規模になっていることを考えると、それだけが理由にはなりません。
最終話に続く
編集:山田 雄一朗
撮影:是枝 右恭
構成:鈴木 友