来たる「インダストリアルメタバース時代」に向けて!企業向けXR事業を進めるスペースリーの挑戦
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近年、注目を集めるテクノロジーにXR(Extended Reality)技術がある。VR(仮想現実)やAR(拡張現実)、MR(複合現実)といった画像処理技術の総称であり、現実世界とバーチャル世界を融合させたテクノロジーとして、広くビジネスに応用されている。
また、メタバースやWeb3といった領域とも関連性の高い技術として知られ、今後多くの企業が何らかの形でXR技術を応用した事業に活路を見出す可能性を秘めていると言えるだろう。
他方、VRやARに代表される技術は、eスポーツや興行イベントといったエンターテイメント業界を中心に使われるイメージが強い。没入感や臨場感を生み出し、オーディエンスの熱狂や感動を創出するためにこれらの技術を用いることが多いのだ。
そんななか、360°VRコンテンツを制作・編集ができるクラウドソフトウェア「Spacely(以下、スペースリー)」は、事業者向けに提供するプロダクトとして急成長を遂げている。
エンタメ性を追求するのではなく、企業のマーケティングやサービス価値向上のためにVR技術を応用したスペースリーは、いかにして生まれ、事業を拡大してきたのか。今回は、株式会社スペースリーの代表取締役社長を務める森田博和氏にお話を伺った。
アートのマッチングサービスがVRに興味を持つきっかけに
森田氏は東京大学で航空宇宙工学を専攻。その後進学した大学院ではJAXA(宇宙科学研究所)に所属し、人工衛星やロケット研究プロジェクトに参画した。
大学院卒業後は、 経済産業省に入省して官僚としてのキャリアを歩み始める。そこから、アメリカのシカゴへ留学してMBAを取得後、帰国したのちに会社を2013年8月に創業している。
このように研究者から官僚、海外留学とさまざまなバックグラウンドを持つ異色の経歴を持つ森田氏だが、現在のスペースリーを始める前は、アート関連のマッチングサービスを運営していたという。
「『clubFm(クラブエフマイナー)』(現在は別会社が運営)という、現代アート作品の売り手と買い手をマッチングするオンラインプラットフォームを、事業として手がけていました。有象無象のアート作品が生まれるなか、なかなか日の目を見ない作品も多く、このような課題を解決するために立ち上げたものとなります。サービスを運営していくなかで、作者のコンセプトや制作背景が写真や映像だけでは、十分に伝わりきらないことに気づきました。そこで、いろいろと模索しているうちにたどり着いたのがVRでした」
アート作品がある空間を、VRを用いて空間ごとアーカイブすることができれば、より作者の思う制作への思いが伝わるのではないか。そう考えた森田氏は、さまざまな試行錯誤を繰り返しながらシステムの開発を進めていった。
写真でも映像でもない、新しいメディアとしてのVR活用
VRを使ったプロダクト開発に勤しんでいるなか、VRの新しい活用方法が社会に浸透してきた時期が2016年だった。俗にこの年は“VR元年”と称されることが多いが、森田氏もVRに対する社会的機運の高まりを受け、VRを使ったソリューションでどのような課題を解決できるのか模索していったという。
こうして行き着いたのが、現在のクラウド型のソフトウェアであるスペースリーだった。
「スペースリーは2016年11月にローンチして以来、高品質なVRコンテンツを誰でも手軽に制作したり編集したりできるサービスとして、多くの事業者に使われています。アートからVRコンテンツへと事業をピボットさせ、ビジネスがスケールできた背景としては、360°カメラやVRというリッチなコンテンツに対応できるデバイスが登場したことが大きいです。また、3Dを表現するための技術『WebGL(Web Graphics Library)』などが普及したことで、3Dコンテンツを閲覧できるWebGL対応のスマホが増えたことも、事業成長に寄与したと考えています」
エンタメではなく、事業者向けに提供するVRコンテンツとして意識したのは「写真でも映像でもない、新しく情報を伝える“手段”としての360°パノラマVRだった」と森田氏は続ける。
「ゲームやエンタメ領域で使われるVRデバイスは、あくまでワンオブゼムなわけです。当社では、エンタメ要素で大事になる没入感やエモーショナルなリッチコンテンツを追求するのではなく、導入企業の業務効率化や集客力の向上、プロモーションなどに活用できるようなサービスを意識しながら、360°カメラを使ったVRコンテンツの開発を行っています。
さらにSaaSというビジネスモデルである以上、日常業務としてスペースリーを使い続けてもらう必要があります。そのためには、企業の持つ商品の体験を伝えるのに適したUIやUXを設計しなければなりません。こうした操作性や実用性を重視しながら、スペースリーを普及させてきました」
導入企業の8割が不動産関連の事業者
スペースリーはコマースや店舗ビジネス、住宅分野で事業を行う企業に導入されているとのことだが、最もシェアを誇るのが不動産関連の事業者だという。導入企業における全体割合のうち実に8割を占めるというが、なぜ不動産業界の引き合いが多いのだろうか。
「不動産の物件を見る際、文字や写真だけでは伝わらない物件の情報を求めるニーズが潜在的にあったことが、ひとつの理由として考えられます。また、物件へ足を運ばずとも、VRコンテンツで実際に物件見学をしたときと同等の体験を届ける『VR内覧』は非常に重宝され、不動産業界を中心にご好評をいただいています」
VR技術の専門知識がなくとも、パノラマ写真を撮影してスペースリーのプラットフォーム上にアップロードさせるだけで、誰でも高品質のVRコンテンツを簡単に作れるという「手軽さ」が人気の秘訣だという。
「さらに、遠隔地でも簡単にVR空間の案内ができる『遠隔接客機能』もご提供しており、これまで機能の拡充に努めてきました。このようなサービスの付加価値と、不動産業界の課題がマッチして、一気に導入企業が増えていったのだと考えています」
コロナ禍でニーズが増えた「VR研修」や「空き家の内見」

2020年のコロナ禍以降、新たなニーズも顕在化してきているという。製造業における「VR研修」の需要だ。
従来の集合型研修では、対象となる従業員を全員現場に集めないと成り立たなかった。だが、コロナ禍においては大勢の人数を研修のために集めるのは難しくなっていったことから、研修に特化したVRコンテンツに白羽の矢が立つようになったのだ。
「VR研修のいいところは、文字や映像だけでは伝わらない、空間としての情報伝達に優れている点です。同期的に研修を開催しなくても、従業員の好きなタイミングで、何度でもVRコンテンツを見返すことができるほか、細かな作業やわかりづらい工程でも視覚的に情報伝達できるため、教育コストの減少にも寄与しました。最近ではリアルとVRのハイブリッド研修を導入する企業も増えています」
加えて、直近では自治体からの問い合わせも増加しているという。昨今、少子高齢化や人口減少に伴う社会問題として浮上している「空き家問題」の対策として、自治体もさまざまな打ち手を求めている背景があり、そこからスペースリーへ流入してくるケースが多いというのだ。
「たとえば広島県の江田島市では、10年以上前から空き家問題と向き合ってきましたが、掲載写真と実際の物件とのギャップや現地の内見対応をする職員の業務負担など、様々な課題を抱えていました。これに対して、スペースリーを活用したVRコンテンツを掲載したところ、問い合わせが2倍になり、実際の内見から成約率も増加したため、業務効率化にも寄与しています。
このほかにも、岡山県笠岡市の空き家バンクに同社のVRクラウドソフトを活用したVR空き家内見ページを開設して即効性の高い効果が得られるなど、現在10以上の自治体での導入が進み、引き合いも増えているという。
「不動産業界でシェアを拡大してきたスペースリーですが、今後は自治体が抱える課題や製造業のVR研修など、活用の裾野をさらに広げていく青写真を描いています」
スペースリーが目指すインダストリアルメタバースの世界
スペースリーでは、AI × VRを掛け合わせたデジタルツインのデータ活用プラットフォームを実現するべく2018年4月に「Spacely Lab」を設立し、これからのバーチャル時代に合ったサービスの開発に生かしている。
VRの進化系ともいえるメタバースの台頭が予想されるなか、スペースリーはどのようにして事業を拡大させていくのか。
「メタバースの文脈で話すと、既存で注目されているワールドのようなメタバース空間をプラットフォームとして提供するのではなく、事業者がメタバース空間をコンテンツとして制作できるような方向性で、スペースリーはサービスを拡大していく予定です。事業者自らが作ったメタバースの中で、接客や学習、研修などの用途を考えていて、バーチャル内で複数のユーザーがコミュニケーションする『インダストリアルメタバース』を目指しています。ただ、これを実現するためには、空間を3Dとして扱えるようにならなければなりません。現状は360°カメラで撮影したパノラマ画像を使用していますが、インダストリアルメタバースとして昇華させるには、画像認識やディープラーニングを用いてパノラマ画像を3D変換する必要があります。
現段階ではβ版として『パノラマ変換3Dプレイヤー』という形でリリースしていますが、さらなるリッチな表現を目指すためにサービスのブラッシュアップを積み重ねていき、少しずつですが、インダストリアルメタバースの世界観に近づけていければと考えています」
また、リアル空間のデータを反映する“デジタルツイン”の文脈では、「バーチャルな世界でのデータを実際のマーケティングに活かせるような、デジタルツインのデータ分析ができる基盤を目指す」と森田氏は語る。
「先ほどお伝えしたSpacely Labでは、VR内覧におけるお客様の視線データを、いかにマーケティングや営業活動に活かすかという研究開発等を行っています。これが将来的には、不動産業界だけでなく、たとえばメタバース空間内のアバター店員さんとのリアルタイムなコミュニケーションにも応用できるのではないかと考えています」
また、メタバースという空間を作る意味では「インテリアやデジタルアートとの親和性も高く、『メタバースコマース』のような新たなビジネスも生まれるかもしれない」と同氏は続ける。
「単にワールドを作るのではなく、言語化できないようなブランドストーリーをメタバースの世界観に付与し、バーチャルの世界でしか味わえない付加価値を出せるようなサービスが、今後は必要とされるようになるだろうと考えています」
社会的意義のあるVR活用の裾野を広げていきたい
森田氏によると、リッチコンテンツが求められる分野は、メタバースが広がるポテンシャルも高いという。例を挙げるなら旅行分野だ。
コロナでオンライン旅行サービスが立ち上がったものの、現地にいるような感覚を味わうには限界があった。無論、リアルで現地を体験することの複製にはならないが、メタバース空間で旅行体験を作り、行きたくなるきっかけや発見を与えることは十分に可能性があると言えよう。
今後、地域振興や観光目的でメタバースの活用が期待される一方で、まだまだ将来を見通すほどの予見ができないのもメタバース領域の現状だといえるだろう。
森田氏も「常に時代が求める新しいユーザー体験を追求し、まずはユースケースを増やしていきたい」と意気込む。
「私自身、これまで宇宙もアートもVRも、知的欲求を満たしてくれるもの全てに関して、とことん追い求めてきました。人類の進歩は無限の可能性を秘めており、メタバースもその過程で生まれた潮流だと捉えています。ただ、どうしても現段階では社会的意義のある活用が検討されているかというと、必ずしもYesとは言い切れない部分があります。スペースリーとしては、来たるインダストリアルメタバースを見据えながら、本当の意味で社会に必要とされるサービスを目指しながら、これからも尽力していければと考えています」
ライター後記
今回スペースリーを取材して感じたのは、SaaSのビジネスモデルを採用し、かつ最先端のVR技術を用いたコンテンツを提供するサービスとして、非常に時流を捉えていることだった。森田氏のビジネスにおける着眼点はもちろんのこと、スケーラビリティやメタバースなどの発展性を踏まえてのサービス設計は、緻密でロジックがしっかりしていると思わざるを得なかった。今後のスペースリーの発展に期待したい。
取材/文:古田島大介
編集:長岡 武司